夏休み三日目、今日は今月プライベートで開催する予定だった多摩川LRの下見を兼ねた調査ランです。
まず早朝から外が土砂降りに驚きました。雨雲レーダーを見ると断片的にゲリラ豪雨が関東各地に沸いているようです。
しかし、天気予報は全般的に晴れなので予定通り出発。しかし、世間が平日なのをすっかり忘れておりラッシュを避ける為、すべて鈍行列車で移動して予定より時間がかかりました。

今回の調査ルートは、東急東横線多摩川駅から多摩川を上流に是政まで行く工程なのですが、この日は寄り道して逆の羽田方面に8時半、歩みを進めました。

その理由は、六郷土手河川敷公園にかつてあった、私にとってインラインの聖地「六郷」に訪れたかったからです。インラインを始めた頃、他に滑っている人がいる地を求めてわざわざ遠征したのですが、やしおができる前のkazさんとお会いしたのもこの場所でした。

平日の昼間ですので当然だれもいませんが、一瞬当時の風景がフラッシュバックしたのです。
そしてその先の太子橋緑地で折り返しました。この先には、羽田空港や穴守稲荷神社など見どころがありますが、それらはまたのお楽しみという事で。
再び多摩川駅まで戻ります。ここまでで走行距離が20kmですが、今日は何より日差しが厳しい。熱中症にならないよう、塩タブレットを摂取しながらここまで進みました。見上げると青い空に白い雲。

ここで丸子橋を渡って、多摩川の右岸を進みます。まず二子玉まで滑りますが相変わらず道が細く自転車等すれ違うのに神経を使います。また、道も3年前よりさらに荒れているところがあって、洗濯板の上を滑っているようなところもあります。

そして登戸の手前で雨が。雨宿りしたところが丁度「宿河原堰」だったのです。昭和49年9月多摩川の狛江市側がここで決壊。民家19軒が流される災害があったところです。

私は、当時テレビで流される民家の映像を目の当たりにした記憶と、この災害を解説した番組でこの決壊が起きた原因の改修前の堰を、自衛隊が爆弾で破壊しようとして失敗した話などが思い出されました。
いまでは、コンクリートの壁で補強されたこの地を見ながら、自然の恐ろしさを思い返したのです。
雨は直ぐに止んだので先に進みましたが、そこは水たまりができていたのでもっと雨が降っていたようです。ウィールが横滑りするのを抑えながらしばらくすると、完全に地面は乾いていました。
この登戸の多摩水道橋を渡って、左岸をさらに上流に進みます。
鶴川街道を越えてからは、稲北に自転車で向かうお馴染みのコース。一気にゴールの是政まで進みました。

今回の行程は、42kmでしたが道が悪いのと高温でおとといの多摩湖サイの40kmより疲れました。そして肝心の多摩川LRの調査ですが、結論としてこのコースはLRにはお薦めできないでした。
特に小さいお子さんのいるグループには、一部危険なところもあるので、ハードルが高いと思います。
ともあれ、こんなくそ暑いときによくインラインで40kmも滑る自分を疎ましく思いつつ、13時半ゴールと同時にチューハイで乾杯する自分がいるのでした。
さあ、明日はなんと憧れの霞が関一周ランをミゾさんからお誘いいただいたのに、また用事でパスです。代わりに午後光が丘に行きます。そして夏休みラストの日曜日は、東京CRとその後いこいクラブ活動で締めようと思います。
まず早朝から外が土砂降りに驚きました。雨雲レーダーを見ると断片的にゲリラ豪雨が関東各地に沸いているようです。
しかし、天気予報は全般的に晴れなので予定通り出発。しかし、世間が平日なのをすっかり忘れておりラッシュを避ける為、すべて鈍行列車で移動して予定より時間がかかりました。

今回の調査ルートは、東急東横線多摩川駅から多摩川を上流に是政まで行く工程なのですが、この日は寄り道して逆の羽田方面に8時半、歩みを進めました。

その理由は、六郷土手河川敷公園にかつてあった、私にとってインラインの聖地「六郷」に訪れたかったからです。インラインを始めた頃、他に滑っている人がいる地を求めてわざわざ遠征したのですが、やしおができる前のkazさんとお会いしたのもこの場所でした。

平日の昼間ですので当然だれもいませんが、一瞬当時の風景がフラッシュバックしたのです。
そしてその先の太子橋緑地で折り返しました。この先には、羽田空港や穴守稲荷神社など見どころがありますが、それらはまたのお楽しみという事で。
再び多摩川駅まで戻ります。ここまでで走行距離が20kmですが、今日は何より日差しが厳しい。熱中症にならないよう、塩タブレットを摂取しながらここまで進みました。見上げると青い空に白い雲。

ここで丸子橋を渡って、多摩川の右岸を進みます。まず二子玉まで滑りますが相変わらず道が細く自転車等すれ違うのに神経を使います。また、道も3年前よりさらに荒れているところがあって、洗濯板の上を滑っているようなところもあります。

そして登戸の手前で雨が。雨宿りしたところが丁度「宿河原堰」だったのです。昭和49年9月多摩川の狛江市側がここで決壊。民家19軒が流される災害があったところです。

私は、当時テレビで流される民家の映像を目の当たりにした記憶と、この災害を解説した番組でこの決壊が起きた原因の改修前の堰を、自衛隊が爆弾で破壊しようとして失敗した話などが思い出されました。
いまでは、コンクリートの壁で補強されたこの地を見ながら、自然の恐ろしさを思い返したのです。
雨は直ぐに止んだので先に進みましたが、そこは水たまりができていたのでもっと雨が降っていたようです。ウィールが横滑りするのを抑えながらしばらくすると、完全に地面は乾いていました。
この登戸の多摩水道橋を渡って、左岸をさらに上流に進みます。
鶴川街道を越えてからは、稲北に自転車で向かうお馴染みのコース。一気にゴールの是政まで進みました。

今回の行程は、42kmでしたが道が悪いのと高温でおとといの多摩湖サイの40kmより疲れました。そして肝心の多摩川LRの調査ですが、結論としてこのコースはLRにはお薦めできないでした。
特に小さいお子さんのいるグループには、一部危険なところもあるので、ハードルが高いと思います。
ともあれ、こんなくそ暑いときによくインラインで40kmも滑る自分を疎ましく思いつつ、13時半ゴールと同時にチューハイで乾杯する自分がいるのでした。
さあ、明日はなんと憧れの霞が関一周ランをミゾさんからお誘いいただいたのに、また用事でパスです。代わりに午後光が丘に行きます。そして夏休みラストの日曜日は、東京CRとその後いこいクラブ活動で締めようと思います。
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